30日目 仙台〜三陸②
いよいよ被災地です。
この地域は津波により甚大な被害を受けました。
駅の近くには未だ瓦礫を処理している場所があります。
しかし、駅周りはまだ被害が小さいほうです。 本当に驚いたのは女川町。
ここは全部町だったそうです。
昔の写真と見比べるとこの通り。
もう驚きというより、衝撃すぎて言葉が出ません。
完全に更地でした。
一回の津波で街がこうなるなんて、信じられない。
ここにポツンと残っているのが、
【大川小学校跡】です。
この学校は避難の際に教員の避難場所の判断ミスにより84名の児童が命を落としたそうで、未だ遺族による裁判が続いています。
以下、大川小学校の写真です。
以上です。
津波が来た時に児童が避難した場所は、裏にある山ではなく、少しだけ高くなってる坂の上でした。
学校の裏にあるこの山に登っていれば、、
大川小学校を出発してから45号線をひたすら北上しました。
ここの道は工事用のダンプが多くて中々スムーズに進むことができません。
沿岸部ではいたるところで道路のかさ上げ工事、地盤を固める工事が行われていました。
そのせいで道路はボコボコになってる箇所や狭くなってる箇所が多数あって、とにかく走りにくい。
現地の人に聞くと、昔は走りやすく、海が綺麗に見え、いい道路だったそうです。
住民の方に学生の生活について聞いてみると、
この地域の学生は未だ不便な生活を送っているらしく、
『鉄道がまだ復旧してないので、学生は通学手段がバスか自転車か徒歩しかなく、バスで通学する人は毎日すし詰めになりながら学校に行ってる。』
『未だに仮設住宅に暮らしてる人が沢山いて、そのせいで近くの小学校や中学校の校庭やグラウンドが仮設住宅になり、子供の遊ぶスペースが少なくなっている。一番遊びたい時期に目一杯遊ばせてあげられないのは、住民として心が痛い。』
と教えてくれました。
もし自分がこの状況に置かれたら、耐えられずにどこかへ逃げ出してしまうかもしれません。
僕より下の子供がこんなに窮屈な生活を送っているなんて、可哀想すぎます。
走っていると夜になり、あたりが暗くなってきましたが、
街灯があるのに点きません。
ただでさえ道がわるいのに、街灯も点かないといつ事故が起こってもおかしくないです。
なんとか目標の道の駅に着けたので、そこにいた現地の方に話を聞くと、
これは今なお岩手県が電力削減のためにやっているらしいです。
内陸は点いてるらしいのですが…
何故道路が悪い沿岸部で街灯を点けないのかは、住民の方も疑問に思っているそうです。
僕の感覚では電力削減事態がとうの昔に終わったことでした。
完全に甘く見ていました。
昨日は外的損傷が少ない被災地に行きましたが、今日は全く逆です。
震災の被害を目の当たりにすると、胸が締め付けられる思いになります。
テレビや新聞では、復興の明るいニュースが取り上げられることが多かったので、自分の中ではもう少し復興が進んでるものだと思い込んでいました。
これが現実、、
一度でいいので、まだ見に来たことない方は実際に足を運んで目で見て肌で感じてほしいです。
行かないとわからないことが沢山あります。
もし、他にも住民の方に聞いた内容を教えてほしい方いましたら連絡してください。
まだまだ伝えきれてないことが沢山あります。
明日は宮古市田老の【学ぶ防災】というスタディーツアーに参加する予定です。
ではでは