33日目 函館〜長万部
初のライダーハウスでの宿泊は相部屋の人達にも恵まれ、快適でした。
8時に起床してから、オーナーに別れを告げ出発。
今日は最初に函館の朝市、次に日本で一番参拝するのが過酷だと言われている神社【太田山神社】に行く予定です。
まずは朝市
朝から活気溢れるこの市場は、函館駅の目の前にあります。
新鮮な魚が安く買えるので、観光客で賑わっていました。
ご飯の大盛りがプラス100円だったので、大盛りを頼むことに。
このボリューム。
しっかりいくらまで入ってる。
東京で食べたら1000円はくだらなそう。
やっぱり新鮮な魚は美味しいです。
日本一周していて感じるのは、地方の美味しい料理は大体東京で食べれてしまうということ。
だからこそ、旅中は漁港で漁れた新鮮な魚などの"今しか食べれない味"に惹かれます。
だからっていつも海鮮丼食べまくってたらお金が無くなりますが。笑
帰ったらいっぱい美味しいもの食べたいな、、、
そんな今日の昼ごはんは北海道限定のコンビニチェーン店の【セイコーマート】で売ってる
ピリ辛ザンギ焼きそば(154円)
を食べてました。
200円を切る激安価格で、このボリュームと美味しさ。普通の焼きそばより少しピリっとしてて、味付けは少し濃いめ。
コスパ高めです。
さすが北海道。
昼ごはんを食べてからは、今日のメインイベント中村惇之介VS太田山神社。
最近、太田山神社はテレビでも"参拝するのが日本一キツい神社"ということで紹介され、知名度が上がっています。
なんと!!
本日放送の【月曜から夜更かし】でも、“最も参拝が危険な神社”として取り上げられていたらしいです!
偶然にも程がある、、、
それはさておき、、、
いざ行かん!!!
神社の正面です。
すでに鳥居の奥には敵が待ち構えている…
第一試合
中村惇之介VS超急斜面の階段
最初の敵が姿を現しました。
いきなり強敵。
横から見るとなんとこの角度。
正面から見ると壁に見えるくらい急です。
そして段の幅の狭さ。
幅は靴の半分くらいないです。
はたしてこの神社は参拝させる気があるのか。
初めての敵に面食らった部分はありましたが、
段々と段に慣れてくとへっちゃらになります。
長い長ーーい階段を登り5分間。
ようやく第一試合終了。
記念すべき初勝利。
しかし、喜びも束の間。
第二試合が既に始まっていました。
この階段を登り、
第二試合
中村惇之介VS急な斜面の山道
こんなに急な坂は登山ですらあまりお目にかかれません。
急すぎて、途中なんども足を滑らせます。
歩いても歩いてもゴールにはたどり着きません。
何度も来たことを後悔しました。
心の中の悪魔『なぜここまでして参拝したいんだ。』
『こんなことしなくたって日本一周出来るじゃないか。』
自分『ならここで下山しちゃおうかな、、』
弱気になりました。
本気で下山を考えた時にふと頭をよぎったミスチルの歌の歌詞。
『高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんなー』
そうだ!
この山道を越えた後に待っている絶景のために、登っているんだ!
辛い思いをするからこそ、より一層絶景が絶景になるはず。
そう信じて約1時間。
ノンストップで登り続けました。
苦戦を強いられましたが、第二試合も勝利。
正直ここで終わりかと思いましたが、
日本一過酷な神社。
最後の試練が待っていました。
この今にも落ちそうな吊り橋を渡った先には…
最終試合
中村惇之介VS崖とチェーン
崖にチェーンが降りているだけです。
命綱無しでこれを登らなければいけません。
最後の最後にとんでもない強敵が僕を待っていました。
登山のせいで足ガクガク。
無駄にしてしまった重装備で汗ダラダラ。
もうキツいって、、、、
しかし、ここで諦めたらそこで試合終了。
目の前にある高い壁を乗り越えた先には何かがあるはず!!
歯を食いしばれ中村!!
あとちょっとだ!
登りきったぞーーー!!!!!!!
お堂に着きました。
そして振り返ると、
この写真じゃ良さが伝わりにくいですが、とにかく絶景。
全てが報われました。
ミスチルが言ってる言葉は嘘じゃなかった。
気持ち良かったなあ。
本当はここで寝たいくらい疲れてましたが、
降りなきゃいけないので、
仕方なく下山。
ただ、登りを経験したら下山は楽勝でした。
あっという間に下まで降りて
無事参拝終了。
中村惇之介の大勝利にて終わりました。
この後は、宿がある長万部まで行きました。
ここには格安のライダーハウスがあることを知ってたので、そこに泊まることに。
幸い相部屋用のだだっ広い部屋に僕一人しかいなかったので、とてもゆっくり出来ました。
いやー本当に疲れた。
お疲れ様自分。
今日はぐっすり眠れそうです。
ではでは
32日目 八戸〜函館
あれ、、
何もしなくても7時に起きてしまった。
身体が7時起床のリズムになってきたようです。
眠くないし。
今日は青森港から函館へ行く予定です。
初北海道!楽しみ!
朝ご飯を済ましてから、青森港を目指します。
八戸から青森へ行く途中に八甲田山という山があって、そこから見る景色が壮観でした。
この山を越えてやっと青森市内へ到着。
2時間くらいかかりました。
フェリーの時間まで少し余裕があったので、昼ごはんに大学の先輩から教えてもらったお店に行きました。
この店で有名なのは、
名前だけ聞くと色々混ぜすぎてる気がするんだが。。
見た目はどうなんだろう。
あれ、普通に美味そうじゃん。
口に運んでみると、、
美味い!!!
全部の味が絶妙なバランスでいいとこを引き立て合ってる。
味は牛乳と味噌のおかげで結構マイルドです。
このスープに中太のちぢれ麺が絡みます。
箸が止まらない。
麺を食べた後も汁まで全部飲み干しちゃいました。
青森に訪れた際には是非食べてほしいです。
食べ終わった頃にはいい時間になったので、津軽海峡フェリーターミナルに行きました。
料金は4750円
結構いい値段。
フェリーに乗り込み、出航!!
3時間半の船旅はずっと寝てました。笑
起きたら函館に着いていました。
急いで支度したので、函館の写真を撮り忘れてしまいました。すみません。
函館に着いてからまず向かったのは、
函館ご当地ハンバーガーチェーン店
【ラッキーピエロ】
なんとご当地バーガーNo. 1の栄光に輝いたお店です。
店内の様子は
アメリカンな店内
やたら『ダントツ』を使いたがるメニュー
ご当地感たっぷりの店で頼んだのは、
看板メニューの【チャイニーズチキンバーガー(350円)】
甘辛いタレとマヨネーズがかかった大きなチキンとシャキシャキレタスが大きなバンズに挟まっています。
ボリューム満点です。
美味い。
安い。
ボリューム満点。
ダントツNo. 1の名に恥じないハンバーガーでした。
その後は、、
函館山の夜景を見ることに。
原付で登る予定だったのですが、通行止めだったので、ロープウェイで登ることに。
男一人で乗るのは気が引けましたが、、、
結局乗ることに。
ロープウェイは結構ぎゅうぎゅう詰めでした。
頂上からの景色は、
男が一人で『うわあ。綺麗。』と声を漏らしてしまうくらい綺麗でした。
とはいえ、感動を共有する相手もいないので、写真だけ撮ってすぐに下山しました。
道の駅まで距離があったので、今日は函館のライダーズハウスで寝ることに。
素泊まり1500円は安い。
北海道で野宿したら寒くて凍えそうなので、ライダーズハウス泊が多くなりそうです。
明日は日本一○○な神社に行ってきます。
ではでは
31日目 三陸〜八戸
今日も7時起床。
三日連続です。
眠い。
今日も見なきゃ行けないとこいっぱいあるし、走らんと。
まずスタディツアーに参加するために11時半に宮古市の田老に着かなければならないので、朝から100キロの移動。
今日もダンプのせいで思うように進めない。
学生がすし詰めになったバスも生で見ました。
仮設住宅で、いっぱいになった校庭も見ました。
どれもが本当の話だったんだな。
日本にはこんな暮らしをしている人がいるんだから、今の環境がどれだけ恵まれているか噛み締めて一所懸命に生活しなきゃ、被災地の方々に申し訳ない。
2時間走ってちょっと余裕があったので、休憩がてら近くの道の駅に寄ると…
停めてあった自転車に、
【日本一周】の文字が。
その奥に座ってる男性も気づいてくれたようで、向こうから話かけてくれました。
『この自転車俺のじゃないんだよねー。俺はカブで日本一周してるんだけど、この自転車の持ち主に貸してるんだ。もうそろそろ戻ってくるよー。』
10分程待つと、
大きなカブに乗ったお兄さんが!
しかも後ろには日本一周の文字!
なんと日本一周してる人が3人揃う珍事件。
記念撮影はみんな違う人の乗り物に跨って撮ることに。
日本一周話に花が咲きましたが、時間があるので、すぐお別れしちゃいました。
11時15分に集合場所の田老駅に着いたら、既にバスが来ていたので、バイクを急いで置いてバスに乗り込みました。
僕の他にお客さんはいなかったので、1時間ガイドさんとマンツーマン状態でした。
内容は最初に、街全体を見渡せる堤防に登り当時の様子を説明してくれたり、震災以前の街のことを話してくれました。
対策として写真にもあるように高さ10mの大きな堤防も整備されていたのに、町はほぼ壊滅状態になりました。
十分な情報が行き届いていなかったうえ、住民の方も津波を甘く見ていたようです。
あの堤防があれば、津波を守ってくれると思い込み家から避難しようという考えに至らなかった方が多数亡くなり、高台に避難した方の多くが生き残ったそうです。
ガイドの方は高台に逃げたため助かったとおっしゃっていました。
堤防の後はここに来ました。
この建物の右側をよく見てください。
津波の高さを示したしるしがあります。
17mってビル7〜8階の高さ。
こんな高さの津波想像も出来ないし、したくない。
最後にマスコミでは公開されていない、
津波を間近で撮った動画を観ました。
この動画を観た後にはしばらく何も喋れなくなりました。
迫り来る津波から逃げる人。
助けを呼ぶ悲鳴。
津波を見てただ呆然と立ち尽くす住民。
テレビで観てた映像とは全く違いました。
これを観た後、解散場所に帰るまでにガイドさんが、
『私にはもう生きてて希望は無い。こうしてお金を稼いで、寿命を待ちながら生き延びるだけなのさ。』
とボソッと呟いた時にはなんと言い返していいのかわからず、私はただ黙り込んでました。
そのまま解散。
もう自分の頭はいっぱいいっぱいでした。
こんなの辛すぎる。
バイクを走らせてからもあの一言と津波の映像が頭の中を駆け巡り何も考えられませんでした。
気づいたら八戸に着いていて、吉野家にバイクを停め、晩御飯を食べようとした時…
横にいたおじさんが『にいちゃん! 飯奢ってやるよ!』と声をかけてくれたので、ありがたくご馳走になることに。
忘れかけてた人の温かさを感じました。
帰りがけに、
『俺たちおじさんは、頑張ってる若い人を応援するために生きてるんだよ。これからの旅も頑張れ。』
と言っておじさんは帰っていきました。
腹が満たされたのはもちろんですが、それ以上に精神的に楽になりました。
もう本当に、
ありがとうございました!!
晩御飯を食べた後は、今日の寝床の道の駅ろくのへに向かいました。
今日も色んなことがありすぎました。
ただ、これからも現実に背を向けずに真正面から向き合って生きていかなきゃいけないんだと気付けたとても大事な日でした。
明日はいよいよ北の大地、北海道へ行きます。
ではでは
30日目 仙台〜三陸②
いよいよ被災地です。
この地域は津波により甚大な被害を受けました。
駅の近くには未だ瓦礫を処理している場所があります。
しかし、駅周りはまだ被害が小さいほうです。 本当に驚いたのは女川町。
ここは全部町だったそうです。
昔の写真と見比べるとこの通り。
もう驚きというより、衝撃すぎて言葉が出ません。
完全に更地でした。
一回の津波で街がこうなるなんて、信じられない。
ここにポツンと残っているのが、
【大川小学校跡】です。
この学校は避難の際に教員の避難場所の判断ミスにより84名の児童が命を落としたそうで、未だ遺族による裁判が続いています。
以下、大川小学校の写真です。
以上です。
津波が来た時に児童が避難した場所は、裏にある山ではなく、少しだけ高くなってる坂の上でした。
学校の裏にあるこの山に登っていれば、、
大川小学校を出発してから45号線をひたすら北上しました。
ここの道は工事用のダンプが多くて中々スムーズに進むことができません。
沿岸部ではいたるところで道路のかさ上げ工事、地盤を固める工事が行われていました。
そのせいで道路はボコボコになってる箇所や狭くなってる箇所が多数あって、とにかく走りにくい。
現地の人に聞くと、昔は走りやすく、海が綺麗に見え、いい道路だったそうです。
住民の方に学生の生活について聞いてみると、
この地域の学生は未だ不便な生活を送っているらしく、
『鉄道がまだ復旧してないので、学生は通学手段がバスか自転車か徒歩しかなく、バスで通学する人は毎日すし詰めになりながら学校に行ってる。』
『未だに仮設住宅に暮らしてる人が沢山いて、そのせいで近くの小学校や中学校の校庭やグラウンドが仮設住宅になり、子供の遊ぶスペースが少なくなっている。一番遊びたい時期に目一杯遊ばせてあげられないのは、住民として心が痛い。』
と教えてくれました。
もし自分がこの状況に置かれたら、耐えられずにどこかへ逃げ出してしまうかもしれません。
僕より下の子供がこんなに窮屈な生活を送っているなんて、可哀想すぎます。
走っていると夜になり、あたりが暗くなってきましたが、
街灯があるのに点きません。
ただでさえ道がわるいのに、街灯も点かないといつ事故が起こってもおかしくないです。
なんとか目標の道の駅に着けたので、そこにいた現地の方に話を聞くと、
これは今なお岩手県が電力削減のためにやっているらしいです。
内陸は点いてるらしいのですが…
何故道路が悪い沿岸部で街灯を点けないのかは、住民の方も疑問に思っているそうです。
僕の感覚では電力削減事態がとうの昔に終わったことでした。
完全に甘く見ていました。
昨日は外的損傷が少ない被災地に行きましたが、今日は全く逆です。
震災の被害を目の当たりにすると、胸が締め付けられる思いになります。
テレビや新聞では、復興の明るいニュースが取り上げられることが多かったので、自分の中ではもう少し復興が進んでるものだと思い込んでいました。
これが現実、、
一度でいいので、まだ見に来たことない方は実際に足を運んで目で見て肌で感じてほしいです。
行かないとわからないことが沢山あります。
もし、他にも住民の方に聞いた内容を教えてほしい方いましたら連絡してください。
まだまだ伝えきれてないことが沢山あります。
明日は宮古市田老の【学ぶ防災】というスタディーツアーに参加する予定です。
ではでは
30日目 仙台〜三陸(岩手県)①
退出の時間があったので今日も7時起床。
体力的に少しキツくなってきました。
朝ごはんにセブンイレブンでおにぎり食べて仙台を出発!
松島を目指します。
仙台駅から10分ほど行った場所に、
【koboスタ宮城】を発見。
新しい球場だけあって綺麗だなあ。
入り口の付近に目を向けると、
【スタジアム無料見学会】の文字が!!
行くしかない。
ということで見学ツアーに参加してきました。
最初に案内されたのはビジター側の施設
これがロッカールームです。
ハンガーまで床から220cmあるのでめちゃめちゃ高いです。
小坂とか届いてたのか疑問。
素振りルーム
シャワー室
年季を感じました。
宮城球場だったころの施設でしょう。
新しく作ったこともあって綺麗。
投げてみたくなりました。
昨日のゲームで使ったホワイトボード
相手のベンチ入りのメンバーが書いてます。
左利きが赤 右利きか黒 両利きが青 で書かれています。
ちゃんと電話もありました。
ベンチはシートが被せてありましたが、高級感あふれるベカロ製の革のベンチです。
寒い時には電熱線がシートを暖め、上のヒーターからあったかい空気が流れてくるそうです。
仙台ならではの工夫ですね。
ベンチからの景色
こんなとこで野球してみたい。
そこで、質問してみました。
Q.ここの球場使うとして、一番安いプランなら一人いくらですか?
A.8000円くらいです。
えっ。
安くね。
誰かkoboスタで野球しよう。
興味がある方連絡ください。一緒にやりましょう。
ここでツアーが終わりました。
無料にもかかわらず盛りだくさんのツアーでした。
月に2回やっているので、皆さんも是非。
寄り道してしまったので、急いで松島に向かいます。
日本三景の中では一番地味な気がします。
遊覧船などに乗れば良かったのかな。
これで日本三景は全部回ったことになりますが、どこも共通して松が綺麗でした。
昔の人が決めた三景だし、今の人とは感覚が違う気がします。
もっと歳を重ねたら良さがわかるのかもしれません。
そんなことを思いながら、バイクに乗ろうとしていると、髭のおっちゃんに話かけられました。
この時期にしては、暑そうな革ジャンを着ておっきなバイクに乗っていたので、不思議に感じていると、
『じゃあそのポージングでお願いしまーす』の声が。
声の元を振り返ると、おっきなカメラと三脚を持った人が。
てことは、、
髭のおっちゃん『俺bikejinって雑誌のモデルやってて今はその撮影なんだよ』
なるほど。モデルだからあんなにキメキメだったのか。
撮影後には一緒に写真撮ってくれました。
しかもプロのカメラマンに撮影してもらえることに。
モデルのおっちゃんいい味出してるなー。
帰り際にはこんな物をいただきました。
いざという時にはこのブレスレットを解くと頑丈な2メートルの紐になるらしいです。
これからいつも身につけて走ります。
大型バイクが似合う歳と顔になったら、一度は乗ってみたいです。
この後は被災地です。
ただ文量が思った以上に増えてしまったので一旦ここで区切ります。
被災地のことは②で。
ではでは
29日目 いわき〜仙台
今日は一緒に教会に泊まってたおじさんに7時に起こしてもらいました。
まだあと5時間くらいは寝れる。。
というより寝たい。
まあ起きちゃったもんは仕方がないので、パパッと準備を済ませ、教会を出ました。
空が青い。
この頃秋雨前線の影響で灰色の空しか見ていなかったので、久しぶりに青い空にテンションが上がりました。
バイクも快調に朝から飛ばし、ひとまず11時に郡山に到着。
ふっつーに栄えててびっくり。
今日は日中にゆっくり移動し、夜に仙台に着いてから牛タンを食べて寝る予定です。
郡山を出発し国道4号を走ると、いたるところに このような看板が現れます。
仮設住宅の案内板です。
昨日行った街のすぐ近くに住んでた人たちがここで暮らしてるのかあ、、
いてもたってもいられなくなったので、そのまま仮設住宅行ってみました。
住民の方に直接話を聞こうと思い、仮設住宅のスタッフの方に相談しましたが、役場を通さなきゃいけないという話だったので、
その場で役場に電話しました。
ここでOKをもらったのでようやく住民の方から話を聞くことに。
老若男女色んな方から話を聞きましたが、
みなさん口を揃えて、
『五年経っても状況は何も変わっていない』
とおっしゃっていました。
『震災から前の家に住むことが出来ず、
いつ住めるようになるかもわからない。どれだけ放射能に毒されているかもわからない。』
宮城や岩手などの外的な損傷に比べ、原発周辺の損傷は目で見ることが出来ません。
『娘を嫁がせる時に被曝したことを理由に断られたらどうしよう』と不安に思っている主婦の方の話を聞いた時には、胸が締め付けられる思いでした。
五感で感じることの出来ないものに、体がどれほど毒されているのかがわからないのは、僕たちの想像を絶する怖さと辛さがあると思います。
『他の地域の方にもう復興したんじゃないの?と言われたりするけど、そんなことない。未だに何も変わってないことをできるだけ多くの方に足を運んでもらって知ってほしい。』
このことについては僕も強く思いました。
被災地で起こっている現実を実際に目と耳で確かめることによって、自分の震災に対しての意識が変わるはずです。
まだまだ書きたいこといっぱいあるのですが、
ここに書いていいことかはわからないので、もっと聞きたい方は直接連絡ください。
結構衝撃的な話もありました。
もう少し聞いて回りたかったのですが、このままだと仙台に着かなくなるので断念。
仮説住宅を出発しました。
郡山から仙台までは130キロあるので、4時間走りっぱなし。
ああ、、、
お尻が、、、、、
ああ、、、、、、
仙台に着いた時にはお尻の感覚がありませんでした。
ただ、あともう少しで美味しい牛タンを食べれる!
待ってろ牛タン!
ネットで美味しい店を探し、いざ行ってみると、
定休日。
もう一度見ます。
やっぱり定休日。
俺のお尻返せよ……
牛タンあるからこんなに頑張ったのに。
まあ自分の調査不足だったんですが、ショックは大きかった。
そこで近くにいる人たちに他に牛タンの美味しい店がないか聞き、辿り着いたのは立ち飲み屋。
【ぼんてん酒場】です。
立ち飲み屋で食べ物飲み物オール300円なのですが、期間限定で牛タンを500円で出していました。
他店の牛タン定食なんて食べたら、1500円は取られるので、だいぶ安価です。
5分程待った後、
出てきました!
おおーーー
牛タンだーーー
うまっっっっ!!!!!!!
歯ごたえのある食感
噛めば噛むほど出てくる旨味
これがお尻を犠牲にしてまでも求めていた牛タンだー!!
まさか居酒屋で牛タン食べることになるとは思いませんでしたが、美味しかったから良しです。
お尻も喜んでました。
仙台周辺はあまり泊まる場所がないので、今日は近くのネットカフェで寝ます。
明日は宮城、岩手の被災地を見て回る予定です。
ではでは
28日目 日立〜いわき(福島)
スタッフの人に起こされて8時に起床
こりゃ怒られるやつだ、、、
テントの中で震えていると、
スタッフのおばちゃんに『はい。 これで頑張って。』とお茶をもらっちゃいました。
怒られなくて良かった、、
むしろありがとうございます。
もらったお茶を飲みながら支度をしていると、スーツを着たおじさんに話しかけられました。
この旅中話しかけられることはしょっちゅうなので、いつも通り喋っていると、
周りにいたスタッフが、
『この人日立市の副市長さんだよ!』
と教えてくれました。
実はこのおじさん日立市の副市長。
(隣にいる女性はここの施設の館長の方です)
まさか副市長だと思わず、普通に喋ってしまいました。
別れの際には飴をいっぱいくれて、いい人でした。
そして、この市民館のスタッフの方にも『これで美味しいもの食べな』と1000円をいただきました、、
泊めてもらった立場なのに…
ありがとうございました。
【久慈交流センター】とってもいいところでした。
その後最初に寄ったコンビニでは、船乗りの方に声をかけていただいて、1000円とアクエリアスをいただきました。
とても優しい方でした。お仕事頑張ってください。
茨城は優しい方が多いなあ。
今日はひたすら6号線を北上します。
30分ほど走ったあたりに日立駅がありました。
全面ガラス張りの綺麗な駅です。
すぐ隣が海なので、晴れた日はとても綺麗でしょう。
天気が良い日に来たかったな。。
その後は日立を通り過ぎたくらいでお腹が空いたので、
【おふくろ弁当】という弁当屋さんに行きました。
弁当は40〜50種類くらいはありました。
どれも美味しそうでしたが、僕が選んだのは【鳥唐弁当】540円
注文してから調理してくれます。
中身は、唐揚げがはみ出る量入っていて、並盛りなのにほっともっとの唐揚げ弁当の1.5倍はあったかと思います。
しかも唐揚げがジューシーかつ、しっかりと肉に味がしみ込んでいます。
美味い。
すぐに完食してしまいました。
是非地元にこのお店オープンしてほしいです。
みなさん北茨城市に訪れた時は是非寄ってみてください。
弁当を食べた後には、
五浦海岸を見に行きました。
五浦海岸は、あの有名な岡倉天心が愛した海岸らしいです。
並に削られた崖の岩がゴツゴツしていて、わりとよくある崖でした。
桂浜と似たような感じです。
そこで偶然出会ったおばさん達と写真を撮りました。
青春18切符で横須賀から茨城まで来てるらしいです。
そしてそのおばさん達にも1000円を、、
まさか今日三回もいただくなんて思ってもなかった…
何かあった時に使います。このお金がお守り代わりです。
この後も6号線をずっと北上していましたが、
段々と人影が少なくなってきます。
福島第一原発に近づいてきたからです。
いわき市を越えると住んでいる人はほとんどいなかったので、ゴーストタウン状態。
五年経ってもこうなのかとこの地域の復興の遅さを痛感しました。
なので、今はいわき市の牧師の方が中心にボランティアでなんとか経営が成り立ってるそうです。
その牧師の方に旅の話をした際、いわき市の教会に泊めてもらえることになったので、今日はそこに泊まっています。
今日は優しい方に出会うことが多かったです。
皆さんの支えあってのこの旅ですね。
ではでは